2010年 10月 24日
竜馬が四万十川にゆく(けんけん日記) |
■けんけん日記(由来)
【写真・上】土佐藩郷士・樋口眞吉の日記『遣倦録』
樋口眞吉【写真・右】を世に送り出した、幕末の郷土史家としてチョー有名な南某氏が、幡多の某資料館で、中岡慎太郎の直筆の書を発見して、一躍この資料館が有名になった。
さらに、この郷土史家が主宰する「樋口眞吉郷土史塾」の見習い門下生山藤某氏により、坂本竜馬に関する第三級資料がインターネットを介して発見された。司馬遼太郎も驚きの「恐るべしインターネット」というところか!?
嘉永3年初春、高知のお城下から、はるばる四万十川へやって来たという「若き竜馬?」の書きしたためた日記(今風にはブログ?)が見つかったのである。
『けんけん日記』という・・・由来
四万十川通信社では、その『けんけん日記』を8回シリーズとして連載。知られざる「四万十川と坂本竜馬の関係」を世に知らしめた。
***********************
■けんけん日記(現代語訳・復刻版)
◆竜馬が「四万十川改修工事の監督に」の巻
・其の1(土木工事の手伝いを引き受けることにした・・・)
・其の2(まったく幸先の良くない始まりぜよ・・・)
・其の3(作業は、思った以上に難航しそうだ・・・)
・其の4(何か、策はないものかと考えたのだけど・・・)
・其の5(良い天気なので、堤の松林で、昼寝をした・・・)
・其の6(30分前には現場に行って、焚き火をしたりして・・・)
・其の7(ここまで、成果があがるとは、想像してなかった・・・)
・其の8(標準工期2週間のところを3日で終わらせたのだ・・・)
樋口眞吉【写真・右】を世に送り出した、幕末の郷土史家としてチョー有名な南某氏が、幡多の某資料館で、中岡慎太郎の直筆の書を発見して、一躍この資料館が有名になった。
さらに、この郷土史家が主宰する「樋口眞吉郷土史塾」の見習い門下生山藤某氏により、坂本竜馬に関する第三級資料がインターネットを介して発見された。司馬遼太郎も驚きの「恐るべしインターネット」というところか!?
嘉永3年初春、高知のお城下から、はるばる四万十川へやって来たという「若き竜馬?」の書きしたためた日記(今風にはブログ?)が見つかったのである。
『けんけん日記』という・・・由来
四万十川通信社では、その『けんけん日記』を8回シリーズとして連載。知られざる「四万十川と坂本竜馬の関係」を世に知らしめた。
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■けんけん日記(現代語訳・復刻版)
◆竜馬が「四万十川改修工事の監督に」の巻
・其の1(土木工事の手伝いを引き受けることにした・・・)
・其の2(まったく幸先の良くない始まりぜよ・・・)
・其の3(作業は、思った以上に難航しそうだ・・・)
・其の4(何か、策はないものかと考えたのだけど・・・)
・其の5(良い天気なので、堤の松林で、昼寝をした・・・)
・其の6(30分前には現場に行って、焚き火をしたりして・・・)
・其の7(ここまで、成果があがるとは、想像してなかった・・・)
・其の8(標準工期2週間のところを3日で終わらせたのだ・・・)
by kawauso100s
| 2010-10-24 06:19
| 四万十川