2005年 12月 19日
歴史・文化で、まちおこしを・・・(1) |
■歴史・文化で地域づくり
まちおこしに横文字がありません。多分、ヨーロッパ、アメリカで同じような政策、考えがないから・・・。
◆詳細は・・・「海賊版:四万十川新聞(朝刊)」(17.12.13号)で。【登録】
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■四万十川と歴史
四万十川上流は「坂本龍馬脱藩の道」がある!
四万十川下流は「坂本龍馬施工の堤」がある!
■地域おこしと歴史
地域おこしのポイントは「三つのエヘ(E&H)」がカギだと、考える!
◆詳細は・・・「海賊版:四万十川新聞(夕刊)」(17.12.20号)で。【登録】
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■バーチャル・四万十川の歴史探訪 (龍馬堤?)
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の直前、すなわち龍馬16歳の冬のこと。若き坂本龍馬が、はるばる高知のお城下から、幡多の中村までやってきて、四万十川の堤防工事をしたことは、知らない人は知らないけれど、知る人ぞ知る有名な話しである。龍馬が、四万十川の堤防にあった松林で、昼寝をした逸話も有名である。
【写真】四万十川堤防の松林(大正15年頃・写真提供「四万十の居酒屋澤田家」)
赤鉄橋は建設中で、脇に仮橋が作られている。
◆詳細は・・・「海賊版:四万十川新聞(号外)」(17.12.27号)で。【登録】
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[ひとくちメモ]
■中村市史(第2章・奉行時代 P449)
坂本龍馬【写真】がやはり幡多へ来ている。勤王史(維新土佐勤王史)に、『龍馬は16才(嘉永3年)となるや、偶々、島某が工事を督して幡多郡に出張するを聞き、父の命によりて随行せしが、その工夫を使用するに妙を得たりければ、島某もひそかに末頼もしき若者よ、と思いけり。』とある。
また、古老の談に『坂本龍馬はこっちへ工事監督に来ていたが、人づかいが上手で、龍馬の監督の時は面白く仕事が出来て、いんでから(帰宅後)うんとことうちょった。(大変疲れていた。)』といったことを聞き書きしている。
上記と符合する。
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[勝手にトラックバック]
■龍馬づつみ? (四万十川/四万十市)
坂本龍馬が、四万十川の河川工事に携わったという記録があります。ある日、地元の郷土史家数名が、四万十川のほとりにある四万十の居酒屋(澤田家)で、地元郷土史を語るうち「はたして龍馬はどこの工事をしたのか?」ということになりました・・・[more]
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[ブログ・フォーカス]
■歴史的河川遺跡のある風景
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[予告編] バーチャル[こうち自然村]
■けんけん日記
いよいよ、『けんけん日記』が、「元気応援団:歴史で地域おこしを・・・」ということで、ブログに登場します!掲載するブログは、バーチャル[こうち自然村] (毎週水曜日に更新。)
【けんけん日記由来】
樋口眞吉【写真】を世に送り出した、幕末の郷土史家としてチョー有名な南某氏が、幡多の某資料館で、中岡慎太郎の直筆の書を発見して、一躍この資料館が有名になった。さらに、この郷土史家が主宰する「樋口眞吉郷土史塾」の見習い門下生山藤某氏により、坂本龍馬に関する第三級資料がインターネットを介して発見された。
嘉永3年初春、高知のお城下から、はるばる四万十川へやって来たという「若き龍馬?」の書きしたためた日記(今風にはブログ?)が見つかったのである。『けんけん日記』という。
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[四万十川の歴史・文化]
■四万十川堤防の松林
四万十川百人一首 北見志保子
まちおこしに横文字がありません。多分、ヨーロッパ、アメリカで同じような政策、考えがないから・・・。
◆詳細は・・・「海賊版:四万十川新聞(朝刊)」(17.12.13号)で。【登録】
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■四万十川と歴史
四万十川上流は「坂本龍馬脱藩の道」がある!
四万十川下流は「坂本龍馬施工の堤」がある!
■地域おこしと歴史
地域おこしのポイントは「三つのエヘ(E&H)」がカギだと、考える!
◆詳細は・・・「海賊版:四万十川新聞(夕刊)」(17.12.20号)で。【登録】
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■バーチャル・四万十川の歴史探訪 (龍馬堤?)
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の直前、すなわち龍馬16歳の冬のこと。若き坂本龍馬が、はるばる高知のお城下から、幡多の中村までやってきて、四万十川の堤防工事をしたことは、知らない人は知らないけれど、知る人ぞ知る有名な話しである。龍馬が、四万十川の堤防にあった松林で、昼寝をした逸話も有名である。
【写真】四万十川堤防の松林(大正15年頃・写真提供「四万十の居酒屋澤田家」)
赤鉄橋は建設中で、脇に仮橋が作られている。
◆詳細は・・・「海賊版:四万十川新聞(号外)」(17.12.27号)で。【登録】
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[ひとくちメモ]
■中村市史(第2章・奉行時代 P449)
坂本龍馬【写真】がやはり幡多へ来ている。勤王史(維新土佐勤王史)に、『龍馬は16才(嘉永3年)となるや、偶々、島某が工事を督して幡多郡に出張するを聞き、父の命によりて随行せしが、その工夫を使用するに妙を得たりければ、島某もひそかに末頼もしき若者よ、と思いけり。』とある。
また、古老の談に『坂本龍馬はこっちへ工事監督に来ていたが、人づかいが上手で、龍馬の監督の時は面白く仕事が出来て、いんでから(帰宅後)うんとことうちょった。(大変疲れていた。)』といったことを聞き書きしている。
上記と符合する。
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[勝手にトラックバック]
■龍馬づつみ? (四万十川/四万十市)
坂本龍馬が、四万十川の河川工事に携わったという記録があります。ある日、地元の郷土史家数名が、四万十川のほとりにある四万十の居酒屋(澤田家)で、地元郷土史を語るうち「はたして龍馬はどこの工事をしたのか?」ということになりました・・・[more]
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[ブログ・フォーカス]
■歴史的河川遺跡のある風景
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[予告編] バーチャル[こうち自然村]
■けんけん日記
いよいよ、『けんけん日記』が、「元気応援団:歴史で地域おこしを・・・」ということで、ブログに登場します!掲載するブログは、バーチャル[こうち自然村] (毎週水曜日に更新。)
【けんけん日記由来】
樋口眞吉【写真】を世に送り出した、幕末の郷土史家としてチョー有名な南某氏が、幡多の某資料館で、中岡慎太郎の直筆の書を発見して、一躍この資料館が有名になった。さらに、この郷土史家が主宰する「樋口眞吉郷土史塾」の見習い門下生山藤某氏により、坂本龍馬に関する第三級資料がインターネットを介して発見された。
嘉永3年初春、高知のお城下から、はるばる四万十川へやって来たという「若き龍馬?」の書きしたためた日記(今風にはブログ?)が見つかったのである。『けんけん日記』という。
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[四万十川の歴史・文化]
■四万十川堤防の松林
四万十川百人一首 北見志保子
by kawauso100s
| 2005-12-19 07:03
| 地域づくり・地域おこし