四万十川物語(リレー・エッセー) 6 |
高知県安芸郡田野町の出身。
ラジオドラマのコンクールでは世界的権威のあるイタリア賞(ラジオドラマ部門最優秀賞・作品名「アウラ」)を、また、57回芸術祭賞では大賞(ラジオ部門・作品名「神様」)を受賞しています。テレビでは、舞台仕立ての新しい型のドラマの制作などに取り組んでいましたが、平成15年、肺癌のため逝去、享年50歳。
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■四万十川・あつよしの夏
もう、20年も前の話になりますが、NHKが「四万十川・あつよしの夏」というラジオドラマを製作しました。そのロケで、10日間ほど四万十川へ行きました。
ラジオドラマでオールロケというのはとても珍しい事です。普通、ラジオドラマは、条件の良いスタジオで芝居を取って、それに後から効果音や音楽を重ねていくからです。
では、なぜはるばる東京から四万十川まで両親役の橋爪功さんと左時枝さんを連れて行ってロケをしたかというと、地元の子供たちに出演してほしかったのと、やはり四万十川だけが持っている大自然のリアリティがほしかったからです。
録音は、家の中のシーンは小学校の放送室で外のシーンは例えば川で遊ぶシーンは、実際に川に行って水につかりながら収録というスタッフにとってはとても難しいものでした。
助監督の私は本当に泣かされました。なにに泣かされたかって・・・それは「せみ」です。せみが鳴くと助監督が泣く・・・。
せみの音は、詳しく説明すると難しくなるので省略しますが、録音すると実際に聞く以上に猛烈な音となり、セリフなんてほとんど聞こえなくなります。放送室、といっても、クーラーは無く、せみの音がすごいので窓も閉めっぱなしという出演者にとっては過酷な収録でした。
そこで、毎日私が氷柱と爆竹を買ってきての収録となりました。氷柱は理解できると思いますが、何で爆竹なんか?と思いませんか。実は、せみ対策に大量に買ってきたのです。
稽古も終え、さあ本番という時、監督の合図で助監督が盛大に爆竹を鳴らすと、せみがビックリして鳴き止む、そこを狙って収録という段取りです。四万十川のせみはやはり純情で、きっと爆竹なんかはじめての体験ですから、たまげちゃって、シーンと静かになったものです。
ところが、・・・せみも学習するのですね。長崎の精霊流しのような爆竹の大轟音にもすぐに慣れて、大胆なせみが一匹、様子見にちょっと鳴き出すと全員があっという間に大合唱をはじめるのです。それも、あてつけのように前より大きな声での大合唱です。そして、鳴きだすまでの時間がどんどん早くなり、本番の時間がどんどん短くなっていくのでした。
おかげさまで、出来上がった作品では季節に関係なく、せみが鳴いているという妙なことになりました。放送を聴いた人はひょっとして、さすが南国、高知の四万十川では一年中せみが鳴いているのだと思ったかもしれませんね。
でも、やはり本物の持つ圧倒的なリアリティと、役者さん顔負け地元の子供たちの感動的な演技で「四万十川・あつよしの夏」はすばらしい作品になりました。
その時以来、四万十川には訪れる機会がありませんが、あの圧倒的な自然が、若し環境破壊の犠牲になりつつあるとしたらこんな悲しい事はありません。四万十川のせみを泣かすことなどあってはいけないことですよね。
【写真】ラジオドラマの収録風景(上から)
(その1)四万十川で「あつよし少年」。(麦藁帽が松本氏。)
(その2)沈下橋の下で、「四万十川の音」を収録。清流に、鮎の泳ぐ姿が見える。
(その3)津野川小学校で、「小学校の音」を収録。木の椅子が床にこすれてガタガタ鳴った。
(その4)ロケ最終日、小学校の大きな「せんだんの木」のもとで、スタッフ、出演者、地元の人、全員で記念撮影
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[リレー・エッセー] 第7話 予告
四万十の川面に映るむら姿
暮らしみつめて秋雲流る(遊山)
この短歌は、長野大学教授の大野晃氏が、四万十川中流域の限界集落を訪れた時に詠んだものです。遊山は大野教授の号です。
次回は、大野教授に、このときの四万十川の限界集落での情景を語ってもらいます。