2009年 12月 31日
元本・四万十川百人一首 |
第47首 橋詰寿男 (高知市)
向山渡す沈下の橋架けぬ橋脚据えし鮎群れる岩
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■鮎を足で踏みつけて・・・(向山沈下橋)
昭和38年4月、私は高知県幡多事務所林業課林道係長として赴任した。着任早々、大正町から、向山町有林伐採のため、同町上岡の国道から四万十川を渡り、対岸の向山まで、林道を開設したい旨の陳情があり、現地踏査の結果、2号林道として採択が可能と判断したが、林道の主体は沈下橋(潜水橋)であった。
同年8月9日、9号台風が来襲。四万十川源流点東津野村船戸に日雨量890ミリという50年ぶりの記録的大洪水に見舞われた。
私は緊急に被害調査を行いたい旨、上司に進言。すぐ調査班を編成、私は、激甚地域の調査を担当した。調査は、中村市から西土佐村、十和村を経て、大正町まで行ったが、沈下橋は大半が流失しており、唯一、西土佐村の口屋内の沈下橋(林道として昭和28年に完成)が健在であった。
このことから、向山沈下橋は、口屋内の設計に準じようと決め、8月末県庁の書庫で、汗だくになって設計書を探した結果、丸山氏の設計書が幸運にも発見できた。
昭和38年は鮎も近来にない大豊漁で、現地測量の際、決めた橋脚位置の岩盤上で鮎を足で踏みつけた程であった。林野庁から、2号林道向山線として採択され、昭和39年に着工し完成した。
向山沈下橋は、口屋内と比べ、橋長は短いが、そのため両岸との調和が程よく、景観が素晴らしいとして、観光写真やポスターなどに数多く紹介されている。
【写真】中川真理子氏
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[プロフィール]
1928年 高知県土佐山田町生まれ。
1948年 愛媛農林専門学校(現愛媛大学農学部)卒業。
1948年 高知県庁入庁。林業職員に。林業試験場長。
1985年 高知県庁退職。
現 在 NPO土佐の森・救援隊会長。
◆四万十川源流域を詠む
遠近に唸るチェンーソー響く笛笑い始めたり早春の山
<森林ボランティア活動>
蜩の声涼やかに夕去りて源流の里に点る灯火(ともしび)
<四万十源流センター>
木霊する八色の鳥の声澄みて原生林の霧や晴れゆく
<四万十町大正の原生林>
長走火振りの漁の楽しきも網に掛かりしスミヒキが泣く
<四万十市西土佐長走>
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[ひとくちメモ]
■土佐の名建築
高知新聞社刊行の「土佐の名建築」のひとつに掲載され、新聞紙上「土佐近代文化遺産」(沈下橋・四万十川流域)では、
『向山橋は延長60mの桁が路面部分を直線にして、その裏の下部では、一つ一つ弧を描く。背骨のように見えて、スペインの建築家アントニオ・ガウディの建築物を思わせる・・・』
ここに至っては、いささか尻こそばい思いである。
平成17年5月28日、高知新聞「四国名作紀行46」では、平成2年夏、映画「鉄拳」のロケが行われ、主演の菅原文太さんと供に向山沈下橋が登場している。
ともあれ、四万十川流域に多く残る名物の沈下橋の中でも、特に肉感的な造形が美しいと評判され、四季を通じ紙上で向山沈下橋が見られることは、設計者として嬉しい限りである。(橋詰)
向山渡す沈下の橋架けぬ橋脚据えし鮎群れる岩
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■鮎を足で踏みつけて・・・(向山沈下橋)
昭和38年4月、私は高知県幡多事務所林業課林道係長として赴任した。着任早々、大正町から、向山町有林伐採のため、同町上岡の国道から四万十川を渡り、対岸の向山まで、林道を開設したい旨の陳情があり、現地踏査の結果、2号林道として採択が可能と判断したが、林道の主体は沈下橋(潜水橋)であった。
同年8月9日、9号台風が来襲。四万十川源流点東津野村船戸に日雨量890ミリという50年ぶりの記録的大洪水に見舞われた。
私は緊急に被害調査を行いたい旨、上司に進言。すぐ調査班を編成、私は、激甚地域の調査を担当した。調査は、中村市から西土佐村、十和村を経て、大正町まで行ったが、沈下橋は大半が流失しており、唯一、西土佐村の口屋内の沈下橋(林道として昭和28年に完成)が健在であった。
このことから、向山沈下橋は、口屋内の設計に準じようと決め、8月末県庁の書庫で、汗だくになって設計書を探した結果、丸山氏の設計書が幸運にも発見できた。
昭和38年は鮎も近来にない大豊漁で、現地測量の際、決めた橋脚位置の岩盤上で鮎を足で踏みつけた程であった。林野庁から、2号林道向山線として採択され、昭和39年に着工し完成した。
向山沈下橋は、口屋内と比べ、橋長は短いが、そのため両岸との調和が程よく、景観が素晴らしいとして、観光写真やポスターなどに数多く紹介されている。
【写真】中川真理子氏
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[プロフィール]
1928年 高知県土佐山田町生まれ。
1948年 愛媛農林専門学校(現愛媛大学農学部)卒業。
1948年 高知県庁入庁。林業職員に。林業試験場長。
1985年 高知県庁退職。
現 在 NPO土佐の森・救援隊会長。
◆四万十川源流域を詠む
遠近に唸るチェンーソー響く笛笑い始めたり早春の山
<森林ボランティア活動>
蜩の声涼やかに夕去りて源流の里に点る灯火(ともしび)
<四万十源流センター>
木霊する八色の鳥の声澄みて原生林の霧や晴れゆく
<四万十町大正の原生林>
長走火振りの漁の楽しきも網に掛かりしスミヒキが泣く
<四万十市西土佐長走>
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[ひとくちメモ]
■土佐の名建築
高知新聞社刊行の「土佐の名建築」のひとつに掲載され、新聞紙上「土佐近代文化遺産」(沈下橋・四万十川流域)では、
『向山橋は延長60mの桁が路面部分を直線にして、その裏の下部では、一つ一つ弧を描く。背骨のように見えて、スペインの建築家アントニオ・ガウディの建築物を思わせる・・・』
ここに至っては、いささか尻こそばい思いである。
平成17年5月28日、高知新聞「四国名作紀行46」では、平成2年夏、映画「鉄拳」のロケが行われ、主演の菅原文太さんと供に向山沈下橋が登場している。
ともあれ、四万十川流域に多く残る名物の沈下橋の中でも、特に肉感的な造形が美しいと評判され、四季を通じ紙上で向山沈下橋が見られることは、設計者として嬉しい限りである。(橋詰)
by kawauso100s
| 2009-12-31 19:00
| 四万十川